体重はヒミツです。

代表の村松は、1963年1月ウサギ年生まれのA型、水瓶座。
子ども時代は、バドミントンで全日本チャンピオンの父と卓球部キャプテンの母のスポーツカップルの間に生まれながら、おとなしいウチ遊びっ子。

幼少時代

ご幼少の頃。写真はまだモノクロが主流でした。

年一度のスケッチ大会は野毛山動物園へ行く一本松小学校から
今は随分優秀になった浅野中学・高等学校へ進学。
立教大学時代は、日大芸術学部に進学した
高校時代の8ミリ映画仲間に誘われてちょっと演劇。
三谷幸喜さんのサンシャインボーイズに何度か出演させていただきました。

仕事、三谷幸喜の

「仕事、三谷幸喜の」(角川文庫)P28の写真の三谷さんの後ろに写ってるのが私です。

初期の頃の4作

初期の頃の4作に出演させていただきました。


大学卒業後は、高校時代から好きだった広告業界へ。
新卒でコピーライターを採用してくれる会社はなく
やっと潜り込んだ会社も、入社してみれば営業配属!
辞めようかと思いましたが他に行くところもなく、毎日届け物ばかりの私は宅配便?状態の日々。
今はメールやPDFでかなりのことが済ませられる時代ですが
当時は、ラフは手書き、データは写植版下、企画書も手書きだったりして
企画書の清書もよくやらされました。
写植がとれちゃうと自分で貼ったり、色校正は今と違って神聖なもので
直すとスゴーく叱られたりしました。うーん、アナログが主流の昭和の話です。
最初の会社では、私は宅配便?を1年間こなした後に、
企画書などをまとめる際の、補正や工夫が認められて制作部へ。
コピーライター修行がはじまります。
最初の会社には7年間在籍。デザインはすべて外注する営業とコピーライターしかいない、
今思えば珍しい会社だったのですが、ここでコピーやサムネ、企画の立て方を教えてもらいました。
次に移った会社は、イベントや映像も手がける会社。
最初の会社は家電の販売促進が主だったのですが、ここでは、食がらみ行政がらみの
仕事が多かったです。
3社目は、予備校の仕事が一番の食い扶持の会社で制作室室長。
4社目は、不動産広告で成り上がった会社で取締役。ここには7年いました。
近況や趣味、メタボな体重など、より詳しくはお会いして。お酒でも飲みながらでいかがでしょう。

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